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明石と言えばタコ。それも麦わらダコと呼ばれる、
六月から七月にとれたものが最高の味とされる。
町には目の前の海でとれた新鮮なタコを使った
会席料理や、明石焼きの店が軒を連ねる。ところが
「明石のタコ」が日本中に知れ渡るようになったのは、
意外にも最近のことらしい。
タコのぶつ切り、薄造り、てんぶら、タコ豆、タコ飯・・・。
座卓の上に十品ほどのタコ料理が並ぶ。
明石の料亭旅館、人丸花壇の名物、タコづくし会席は
当地でもタコ会席料理の元祖とされる。
使うのはもちろん味の良さを誇る明石産で、 一匹二−三`の大マダコだ。
今でこそタコの会席料理は珍しくないが、 人丸花壇の小谷泰朗社長は意外な事実を口にした。
「実はタコの会席料理は洒落(しゃれ)だったんです。
売れてぴっくり。明石のタコが鯛(たい)より有名になって もっと驚いた」
小谷さんによると、二十五年前に宿の話題作りとして、
まだ高級素材でなかったマダコの会席料理を考えたのが発端だった。
試行錯誤の末、完成した料理を店で出してみると思わぬ大評判。
ほとんどの客がタコ料理を注文するようになった。
その後、テレビの取材などが相次ぎ、市内に会席料理を出す店が増え、
明石のタコは全国ブランドに駆け上がった。
もともと明石産の魚は味の良さで知られる。 とりわけ明石鯛は有名。タコは素材が良くても
料理法が少なく、今ほどブランドカはなかった。
地元の明石浦漁業協同組合の担当者も「江戸時代から伝わる 干しダコを使ったタコ飯がある程度。
普通は刺し身かてんぶらで食ペる」と話す。
当地で「玉子焼き」と呼ぶ明石焼きなどもあるが、 明石ダコを全国に知らしめるには「洒落」の心と
新技法を開拓する料理人の力が必要だった。
早速、タコ会席を味わってみた。まず驚くのは薄造りだ。
ぶつ切りはゆでダコを使うが、薄造りは生ダコの皮を落とし、 中の白身をフグ刺んのように薄く切る。
漉いめの梅だれを付けかみしめると、コリリと心地よい歯応えと、 すっきりした味わいが楽しめる。
料理長の向原広正さんは「目の前の海で捕れたタコだからこその料理」 と自負する。
タコは鮮度を失うと臭くなり、薄造りにはできないからだ。
明石の地の利を生かした一番の技法といえる。
てんぷらの衣にはタコの墨を混ぜ込んでいる。研究機関に墨の成分を分析 してもらうなど、
苦労の末にできた新技法は、わずかな墨の香りが てんぷらの味に深みを与える。
豆の甘みとタコの風味がこっくりと混ざり合う。
煮込み料理「タコ豆」は、懐かしいおふくろの味とでも言うべきか。
最後はタコの卵である「海藤花」(かいとうげ)の塩漬けをあしらっ た吸い物と、
伝統の干しダコを使った香り豊かなタコ飯で締める。
「麦の穂が実る今の時期に捕れたタコは麦わらダコと呼び絶品」(向原さん) という。
秋に生まれたタコは、約1年かけ今の時期に成体になる。
食感の柔らかさが独特で、やや水っぽい春や身が締まった冬場に比べ昧が良い。
関東沿岸でも初夏に磯で麦わらダコ捕りを楽しむ人は少なくない。
小谷さんは「内臓を含めすペて食べ尽くすことのできるタコは奥が深い。
時代に応じた料理を作り上げてこそタコ料理文化」と、 発展途上を強調する。
そんなタコへの思いは地域に伝わっている。
明石学の講座を開く神戸学院大学の角村正博教授の音頭で、 小谷さんや、
たこやき研究家として知られる熊谷真菜さんらが集まり、 あかし玉子焼研究所を五月に設立。
町おこしを狙い、玉子焼きに関する情報を発信する。
帰路、明石駅近くの魚の棚(うおんたな)商店街に並ぶ玉子焼き塵の一軒に寄った。
女将が銅鍋の上の卵汁を器用にくるりとひっくり返す。
小麦粉に卵をたっぷり入れタコを包むこの料理も、実は手が込んで洒落ている。
だしに浸して食べれば会席で満腹なのにするり。 庶民の味、タコの奥深さが心に染みわたった。
明石のタコはなぜうまいのか。
明石浦漁業協同組合によれば、明石から西へ二十`ほどのところにある鹿の瀬 と呼ばれる
漁場の豊富なエサと、潮流の速さが影響しているという。
本州と淡路島に挟まれた明石海峡の潮流は速く、その潮流で吹き上げられた砂が
堆積(たい せき)し、干潮時に水深二メートル程度になる鹿の瀬を形成。
瀬は多くの魚種の産卵場所となり、タコや鯛にとっては豊かなエサ場になる。
速い潮流に流されないよう踏ん張るため、タコの足が引き締まって
筋肉質になり、うまみが増すという。
日本のタコの年間消費量は世界全体の三分の二を占める十五万トン。
国産は約六万トンで、このうち明石市内のマダコ漁獲量は千`前後だ。
価格は旬の夏と冬で他産地の二割高程度。
漁獲の少ない秋は「三倍以上になることもある」(人丸花壇)という
日本経済新聞 平成16年6月19日 掲載
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